myimage-nomalミュージシャンの白井貴子さんは、81年に「内気なマイ・ボーイ」でソロデビューします。
 
当時はピンク・レディーが活動を休止したばかりの頃。音楽業界は次の流れを探っていました。
 
(このコンテンツは週刊文春2016年2月4日号 102~103ページ「新・家の履歴書」を参考にしています)

白井さんを売り出したのは、南沙織さんや山口百恵さんを世に出した、実績のあるチームでした。
 
白井さんのデビュー曲も大々的に宣伝をかけましたが、全く売れなかったそうです。
 
事務所の社長が白井さんのライブを訪れたものの、お客さんがあまりに盛り上がっていないことに腹を立て、ドアを蹴飛ばして帰ってしまうこともありました。

白井貴子さんを変えたひと言

デビューから半年たった頃の様子を白井さんはこう書いています。

ラジオのディレクターにこんなことを言われました。
 
「羞恥心を捨てて、自分をさらけださないと駄目だ」
 
それまでの私は肌を露出するのが嫌で、ライブでもずっとジーンズを穿いていた。
 
それが、「ジーパンなんか脱いでミニスカートで歌え」と言われて目が覚めたんです。
 
当時、女性アーティストの先輩には松任谷由美さんが居て、都会派のポップスで自分の世界を確立していた。
 
私は女のコらしい、可愛くて元気で青空が似合うロックがやりたい。そんなビジョンを固めたことが転機になりました。
 
洋裁をやっていた母に頼んで、手作りの衣装を作ってもらった。
 
ミニスカートを穿いてライブハウスのステージに立つと、何度目かのライブで会場は満員になりました。
 
みんなが立ち上がり、全身で私の音楽を聴いてくれるようになりましたね。

プレイクできたのは、衣装が変わったからというだけでなく、白井さん自身も変わってお客さんにアピールする力がアップしたからなのかもしれません。