「四川料理の神様」陳建民さんといえば、エビチリその他の料理を日本に広めた、日本中華料理界の第一人者です。
テレビ番組「料理の鉄人」などで紹介されたこともあり、多くの人から尊敬を受けていますが、実はなかなか破天荒な人物だったようです。
そしてもしかしたら、建民さんの奥さんはさらに豪快な方のようで。
雑誌「週刊文春」の「樋口武男の複眼対談」で、息子の建一さんが樋口武男さんに建民さんのエピソードを紹介されていました。
以下に一部を抜粋して紹介します。
陳 うちの父はハチャメチャな人。放浪癖があったんでしょうね、料理つくりながら、重慶、南京、上海、台北、香港と転々として、日本にやってきた。
四川省に、僕、お姉さんがいるんですよ。香港にはお兄さん、お姉さんがいる。父は三つの家族を養ってた。
樋口 それ破天荒やね。建民さんとお母さまとの出会いは?
陳 父は日本に遊びにきたんだけど、おカネ全部使っちゃってね。でも、料理人の腕があるわけじゃないですか。で、レストランにアルバイトしに行ったところに、ウェートレスとしていたのがうちの母。すごいでしょ、この出会い。
樋口 そこで出会って、人生変わってしまったわけやからね。
陳 すごいのはうちの母だよね。だって、そんな子どもがあちこちにいる男と結婚する?
結婚のとき、父がなんて言ったか。「私、ガンバル。仕事ヤリマス」。「給料、半分アナタ、半分が中国家族」(笑)。
結婚する?普通しないでしょ?それがしたんですよ。母の親戚は全員反対。あたりまえだよね。よかったね、洋子ちゃん、なんていう人なんか一人もいないですよ。
だから、うちの母も意地になったんだね。絶対この人を日本で成功させてみせるって。
樋口 奥さんの貢献が大きかった?
陳 うちの父、料理以外何もできない人だから。なんでうちの父が立派だと言われたかというと、うちの母が全部やったから。
たとえば日本なら、いただきものをしたら礼状って書きますよね。たいそうなものをいただきまして、まことにありがとうございます、そういうのも全部、うちの母がやったんですよ。そんなこと父がやるわけがない。出かけるときも、ネクタイしなさいよ、とか、手鼻かんじゃいけないよ、とか、そういうのを全部教えたのがうちの母。
で、うちの父も最初やんちゃだったんだけど、だんだん母の掌でこう、クルクルクルクル・・・と(笑)。
樋口 アッハッハッハ。たいしたもんだ。プロデューサーですな。
陳 僕も、人を思いやる気持ちとか気遣いとか、そういうのは全部母から教えてもらいました。ただ、厳しかったなあ。悪いことすると物差しでピシャーンと(笑)。
(週刊文春2016年2月4日号 樋口武男の複眼対談98~101ページより)